ラックレールは今・・・(その1)

 ラックレールとは、鉄道の急勾配区間で採用されることがあるアプト式鉄道で、2本の線路の真ん中に敷かれるギザギザ型のレールのことです。機関車の腹に取り付けた歯車とラックレールを噛み合わせて坂を登る仕組みで、日本国内では信越本線の横川−軽井沢間の碓氷峠開通時に採用され、1963(昭和38)年に複線化によって新線切り替えとなるまで使われていました。そして最近では大井川鉄道井川線で、長島ダム建設に伴って水没する区間を新線に切り替えるにあたりこのアプト式が採用され、1990(平成2)年10月1日から共用開始しました。
 さて、信越本線で使われていたラックレールは国内で他にアプト式が採用されていなかったことから、線路切り替えの時点で用済みとなってしまったわけですが、この程度のものはかしこまって博物館等に保存されるようなこともなかったようです。そんなラックレールの「遺物」を私が初めて発見したのは'80年代の栃木県足利市内で、両毛線の宝来社街道踏切に、クルマの停止位置を示す板として使われていました。その踏切は東武伊勢崎線足利市駅から渡良瀬川の中橋を渡って市のメインストリートへ至る道路にあるため、拡張工事がなされた現在は撤去されてどこへ行ったのか確認する術もありません。私はその後群馬県内を中心に、駅前の側溝の蓋とか踏切板などで残っている箇所をいくつか発見しましたが、それらを写真に収めたものをここで紹介するような次第です。これらのレールは一体どういった経緯で現在の場所に置かれるに至ったのでしょうか。
 このページをご覧になった皆様がもし現地を通ることがあったら、単なる溝の蓋だなどと思わずに歴史的な遺物としての価値を少しでも感じながら踏みしめて頂きたい!と思います。また、他にもラックレールの残っているところがあったら是非、ご教示願いますm(_ _)m。

2002(平成14)年6月9日、高崎線深谷駅の高崎寄り、
第四寄居街道踏切の南側。側溝の蓋に使われるアプトレール。
2002(平成14)年12月14日(土)撮影。
高崎機関区一般公開の日。さりげなく、水路の蓋に使われていました。
みんなこれの上でEF65やらEH500やらを撮影してました。
現役時代には突起を上にして3本1組で使われていました。
こちらはマンホールのような、雨水マスのようなものの蓋。
この下に何があるのかまでは考えますまい。
レールのギザギザがしっかり組み合わせてあります。
こちらにももう一つ、蓋に使われるレール。
機関区見学のお客が、次々に踏みつけて行きました。

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