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BGM=真珠の涙

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書評

 
1 ウォーターワールド M.A.コリンズ 徳間文庫 1995 680 世界中海の底に沈んでしまった地球。わずかに生き残った人類が、伝説の陸地を探して繰り広げるSF冒険小説。ケビン・コスナー主演で映画化。
2 黒い海流 ハモンド・イネス ハヤカワ文庫 1988 620 イギリスの海岸に座礁したタンカー事故をきっかけに進行する国際的陰謀。環境汚染の恐怖と憂慮の中で死んだ妻の復讐。ロイズの保険調査もからんで物語は展開する。
3 幻の漂流船 ジャスティン・スコット 二見文庫 1997 910 漂流貨物船を救助して報酬をもらおうと、暴風の北大西洋に乗り出した老朽タグボート。しかし船長と女性オーナーの行く手には、テロリストの暗躍があった。
4 カリブの失楽園 フレデリック・フオーサイス 角川文庫 1993 470 独立か否かに揺れるカリブ海英領バークレー諸島。総督が何者かに暗殺される。真相を探る英諜報部員。
5 波間に消えた叫び R.W.ホワイト ハヤカワ文庫 1998 777 フロリダでスポーツフイッシング関係者が推進する網漁禁止政策。失業の危機にさらされた女性漁師とその仲間を救おうと、海洋生物研究者が立ち上がる。
6 血の絆 A.J.クィネル 新潮文庫 1985 660 東アフリカに向けインド洋に乗り出した古いヨット。乗り組んだ男女4人は、実は、ザンジバル革命評議会の実権者と特異な血の絆によって結ばれていた。
7 海底牧場 アーサー・C・クラーク ハヤカワ文庫 1977 520 人口爆発で食糧危機に悩む近未来の地球。深海の鯨牧場で働く元宇宙飛行士が、引きずる困難を克服して人生を切り開く。
8 イルカ島 アーサー・C・クラーク 東京創元社 1994 462 沈没した船から少年を助け出したのはイルカたち。連れて行かれた孤島の科学者たちは、イルカ語を研究し理解していた。イルカたちの語る海の神秘の歴史。
9 海から届いた薔薇 R.バッタリア 扶桑社 1995 520 海辺のカフェで自分の恋をふりかえる中年女性。「マディソン郡の橋」のイタリア版と言われるこの本は、豊富な人生経験のうえにこそ純粋な恋愛が成立すると言いたいらしいのだが…。
10 船団司令官 F.マッカチャン ハヤカワ文庫 1995 600 第二次大戦中の大西洋。チャーチルとルーズベルトの会談予定を察知したドイツ海軍の襲撃を阻止すべく、無防備なままUボート群に立ち向かう英輸送船団の戦い。
11 ラミジ艦長物語1イタリアの海 タドリ・ポープ 至誠堂 1980 1350 卑劣な陰謀で罷免された提督を父に持つ三席将校ニコラス・ラミジは、艦長以下将校全員死亡のフリゲート鑑シベラ号の指揮をとり、反ナポレオンのイタリア貴族ボルテラ女公爵ジアナを救い任務を全うする。 (大石)
12 ラミジ艦長物語2岬に吹く風 タドリ・ポープ 至誠堂 1980 1350 コルシカ島海軍基地に帰還したラミジは、父の仇敵ゴダード提督ととりまきのクローチャー艦長の画策で軍法会議にかけられる。ネルソン提督の機転で窮地を脱したラミジは、ジアナをジブラルタルに送り届けるため地中海に乗り出す。 (大石)
13 ラミジ艦長物語3ちぎれ雲 タドリ・ポープ 至誠堂 1980 1030 スペイン艦隊とのセントビンセント沖海戦でネルソン提督とともに勝利のきっかけをつくる手柄を立てたラミジは、水兵が反乱を起こしているブリッグ鑑トライトン号の指揮を任される。 (大石)
14 ラミジ艦長物語4カリブの磯波 タドリ・ポープ 至誠堂 1981 1030 反乱を抑え西インド諸島バルバドス島に到着したラミジに、不可解な商船行方不明事件の調査という任務が与えられ、フランス私掠船と戦う。 (大石)
15 ラミジ艦長物語5ハリケーン タドリ・ポープ 至誠堂 1981 1030 トライトン号の次の任務は、ゴダード提督の艦隊に合流し船団護送にあたることであった。商船団の中のトパーズ号船長ヨークと知り合ったラミジは、船団中ピーコック号の不審な動きに気づき事件を未然に防ぐ。  (大石)
16 ラミジ艦長物語6謎の五行詩 タドリ・ポープ 至誠堂 1981 1030 ハリケーンで船団が散り散りになるなか、トライトン号とトパーズ号は、スネーク島に流され座礁する。上陸したラミジは、スペイン守備隊を襲撃し、彼らが探していた海賊の財宝の秘密を詩の中に解き明かす。 (大石)
17 ラミジ艦長物語7消えた郵便船 タドリ・ポープ 至誠堂 1981 1030 財宝を持ち帰ったラミジをジャマイカで待ち受けていたのは、ゴダードによる軍法会議であった。しかし、その過程でゴダードは逆に失脚、ラミジは本国との郵便船が頻繁に襲われる原因調査を命ぜられる。 (大石)
18 ラミジ艦長物語8裏切りの証明 タドリ・ポープ 至誠堂 1981 1030 乗艦を失っていたラミジは、部下とともに郵便船に乗り込み、郵便船が保険金目当てに自船を私掠船に襲撃させていたカラクリをつきとめ、本国に連絡する。 (大石)
19 ラミジ艦長物語9Xデー タドリ・ポープ 至誠堂 1981 1350 帰国して父の所領に滞在していたジアナと休暇を過ごすラミジに、ナポレオンのイギリス侵攻の準備を探るためフランスに潜入する任務が与えられる。 (大石)
20 ラミジ艦長物語10タイトロープ タドリ・ポープ 至誠堂 1981 1030 フランスからの脱出に際して敵艦を奪取し、念願の正規艦長になったラミジは、ボルテラ以来の部下とともに乗艦ジュノー号に乗り込み、乗員を鍛え直し、西インド諸島マルチニク島の港湾鎖の任務に就く。 (大石)
21 ラミジ艦長物語11眼下の敵 タドリ・ポープ 至誠堂 1982 1030 マルチニク島フォートロワイヤル港への単独奇襲に成功したラミジは、仏商船団来港の情報を得、ダイヤモンド岩礁の頂上に砲台を作り待ち伏せする。 (大石)
22 ラミジ艦長物語12密命の結末 タドリ・ポープ 至誠堂 1982 1350 商船団と護送艦を拿捕し大戦果をあげたラミジは、フリゲート艦カリプソ号の艦長に昇進。反乱水兵に奪取され南米北岸サンタクルスの要塞に逃げ込んだジョカスタ号を奇計をもって奪還する。 (大石)
23 ラミジ艦長物語13鬼気啾々 タドリ・ポープ 至誠堂 1982 1030 フランス私掠船掃討の命を受けたラミジは、オランダ領キュラソー島に向かう途中、乗員が虐殺された商船を発見。スペインの私掠船の犯行とみて行方を追う。 (大石)
24 ラミジ艦長物語14総督の陰謀 タドリ・ポープ 至誠堂 1982 1030 キュラソー島に到着したラミジは、島の総督から私掠船と暴徒から守ってもらうかわりに、島をイギリスに引き渡すとの申し出をうけ、私掠船を討伐する。 (大石)
25 ラミジ艦長物語15海に沈めた秘密 タドリ・ポープ 至誠堂 1982 1350 イギリスが撤退しフランス艦艇が支配する地中海に単身潜入したラミジのカリプソ号は、ナポレオンのエジプト再侵略の野望をくじかんと、クレタ島に向かい、敵から奪った臼砲艇で攻撃する。 (大石)
26 ラミジ艦長物語16遠い船影 タドリ・ポープ 至誠堂 1983 1350 地中海で特命任務についていたラミジは、フランス沿岸の信号塔を占拠し、ニセ情報を流して輸送船団をおびき出し、捕獲する。   (大石)
27 ラミジ艦長物語17孤島の人質 タドリ・ポープ 至誠堂 1983 1350 アミアン和約で英仏休戦となりジアナは故国に向かったまま消息を断つ。平時の任務としてトリニダデ島の領有を命じられたラミジは、そこで私掠船にとらわれていたサラーの一行を救助する。 (大石)
28 ラミジ艦長物語18悪魔島 タドリ・ポープ 至誠堂 1985 1350 サラーと結婚しフランスに新婚旅行に来ていたラミジは、戦争再開により窮地に立つが、敵船を奪って脱出し、サラーと別れ、南米ギアナの悪魔島に捕らえられているフランス人の友人の救出に向かう。 (大石)
29 ラミジ艦長物語19狂気の目撃者 タドリ・ポープ 至誠堂 1986 1350 サラーが行方不明になったことを知るが、戦争再開でカリプソ号の艦長に復帰したラミジは、バルバドス島から本国に向かう輸送船団の護送に当たる。途中、狂気の艦長に指揮された英フリゲート艦と出会って砲撃され、奸計に陥れられが…。 (大石)
29 ラミジ艦長物語20ナポレオンの隠し札 タドリ・ポープ 至誠堂 1986 1350 アミアン和約破棄後、ナポレオンの人質となっているイギリス人救出のため、かつてジアナを救出したイタリアに再び上陸したラミジは、人質全員を脱出させ、その中に今度は、妻サラーを見いだす。 (大石)
30 ラミジ艦長物語21トラファルガー残照 タドリ・ポープ 至誠堂 1987 1350 ロイド愛国基金から表彰されたラミジは、ネルソンに艦隊勤務を要請され、フランスに潜入。入手したフランス・スペイン合同艦隊の情報はやがてトラファルガー海戦を勝利に導く。 (大石)
31 ラミジ艦長物語22サラセンの首 タドリ・ポープ 至誠堂 1989 1350 トラファルガー海戦後、地中海で任務に就くラミジに、イタリア沿岸を荒らし回るアルジェリア海賊退治の命が下る。住民とともに海賊を撃退したラミジは、その地に亡命潜伏していたジアナとの再会をはたす。 (大石)
32 ラミジ艦長物語23マルチニク島の新月 タドリ・ポープ 至誠堂 1990 1350 ついにラミジは74門艦ディド号の指揮を命じられたが、今は妻サラーを想いながらマルチニク島封鎖の任務につく心境に変わっていた。フランス海軍の凄腕艦長と戦いは、長年の敵への思いにも微妙な影響を与えていた。(完) (大石)
33 海の勇士ボライソー・シリーズ3わが指揮艦スパロー号 アレグザンダー・ケント ハヤカワ文庫 1981 560 宿願の艦長への昇進を果たしたボライソー。乗艦はスループ艦スパロー号。輸送船護送の命を受け、フランスと同盟した独立アメリカと戦う。
34 海の勇士ボライソー・シリーズ21復讐のインド洋 アレグザンダー・ケント ハヤカワ文庫 1998 924 英仏戦争。インド洋でフランスがイギリスの通商路を断つ作戦を開始。これに対抗し、仏領モーリシャス島を攻略する作戦に加わるボライソー。
35 悪夢の帆走 ジェイムズ・セイヤー 新潮文庫 2005 857 厳冬ベーリング海のレースに参加した、完全コンピュータ自動操縦のヨット。ハイテク技術にかけた男の野望を大自然が打ち砕く。女性クルーとレスキュー隊員の今風な恋を織り込んだ海洋冒険小説。すさまじい海の、細密な描写に思わず引き込まれる。 (魚住)
36 ささやく海辺 メアリー・アリス・モンロー MIRA文庫 2004 876 リストラにあい、都会から故郷に帰ってきた失意のキャリア・ウーマン。死期の近い母親と暮らした浜辺のひと夏。ウミガメ保護活動をする周囲の人たちとの交流の中で、新しい愛をえ、新しい自分を発見する。現代人の悩みをリアルにとらえる心理描写がうまい。
37 燈台へ ヴァージニア・ウルフ 新潮文庫 1956 240 ウルフの代表作の一つ。ほかに「波」という作品もあるように、彼女の作品には、海辺で暮らした少女時代の想い出がにじんでいる。ひと夏を海辺で過ごす上流家庭が舞台。女主人をとりまく人びとの心象風景が描かれる。「意識の流れ」という手法だそうだが、要するに、物語の展開や背景をいっさい描かず、登場人物の心理をつないでいく方法。
38 絶海の訪問者 チャールズ・ウィリアムズ 扶桑社ミステリー 2000 705 外洋ヨットで新婚旅行に出かけた夫婦を襲う恐怖。危険な雰囲気を漂わせる美青年(おそらくはアラン・ドロンのような)が、沈みかけたヨットからボートで逃げてくる。同情する妻、疑いをいだく夫。登場人物、海の描写ともに満足できる秀作。「デッド・カーム」の題で映画化。
39 海辺の家 マーク・アンドラス 竹書房文庫 2002 590 出世した会社のかつての同僚に解雇を言い渡され、妻にも逃げられた、落ちこぼれ中年男。癌に冒され、残された時間、ドラッグに溺れる息子を救うため、海辺の家を手作りで建てようと決意する。もがきながらも自分を失わぬ、一人の男の人生が共感を呼ぶ。映画の脚本用に書かれた小説。南カリフォルニアの海辺の風景描写が美しい。
40 パイレーツ・オブ・カリビアン テッド・エリオット、テリー・ロッシオ、ジェイ・ウォルバート 竹書房文庫 2003 590 副題「呪われた海賊」。デズニー映画の脚本。ポートロイヤル(英領ジャマイカ)の総督の娘と彼女を慕う若者、そして一匹オオカミの海賊と砦の若き士官の四人が、殺されても死なない伝説の海賊と闘う。最初小説風の書き出し、途中から脚本構想メモみたいな文体になり、味わい薄れる。子供の頃読んだ「赤の海賊」「黒の海賊」あるいはユル・ブリンナー主演映画「大海賊」のようなロマンと冒険活劇を期待していたら、ちょっと拍子抜け。
41 マイアミ沖殺人事件 デニス・ホイートリー 中公文庫 1986 500 マイアミから出航した豪華ヨット。所有者は一代で財をなした世界に知られる石鹸王。招待されたライバル会社のオーナーが何者かに殺害される。この小説が変わっているのは、派遣された刑事の報告書と、証言や証拠写真を生のまま提示して、読者に謎解きをさせる趣向だ。種明かしは巻末の綴じ込みにある。ミステリーとしては楽しめるが、海や船は単なる背景に用いられているだけで、そうでなくとも小説的感動はあまりない。
42 アラン海へ行く5 浮かれ者の座礁 デューイ・ラムディン 徳間文庫 1998 629 アメリカ独立戦争当時を舞台にした、イギリスの海洋冒険小説シリーズの一つ。海軍将校が主人公だが、ボライソーやラミジと違うのは、作者がアメリカ人ということ。したがってこのアランという男、かなりの放蕩者として描かれている。イギリス人が書くような英雄物語とはほど遠い。しかし同時に、当時インディアンと同盟を結んだイギリス側から、自国アメリカを、イギリスに対する反乱者、インディアンに対する侵入者としてとらえる視点で批判的に書いており、この錯綜した作者の立場が興味深い。
43 ハーレクインロマンス
大海原に帆を上げて
アン・マカリスター ハーレクイン 1993 640 一生読むこともないと思っていたシリーズだが、タイトルに惹かれてつい買ってしまった。さほど美人ではないが男まさりの勝ち気な女の子。相手は、危険な影を秘めた、たくましく若き事業家。いつしか芽生える恋。お決まりのラブロマンスだが、舞台は、別荘のあるとある無人島。ヨット好きにはけっこう楽しめる作品。翻訳者がボースンチェアの形を知らぬが故の誤訳もあるが、原作者はヨットをよく知っている人のようだ。
44 デイルマーク王国史2聖なる島々へ ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 創元社水理文庫 2004 860 架空の王国デイルマークに展開するイギリス発の大河ファンタジー。シリーズ前作がどういう内容かわからないが、本編では、領主に追われた少年が領主の子供たちとヨットで逃れる海上シーンが大半を占める。ファンタジーといっても、物語の設定は、囲い込みで農地を追われた農民の反乱と、それを利用する領主一族の権力抗争を背景に、ヨットの描写もあわせて、現実感たっぷりの作品となっている。
45 秘めやかなる海霧  デイナ・スタベノウ ハヤカワ文庫 1997 600 アラスカの女性作家スタベノウは、かつてアリューシャン列島に住み第二次大戦中アラスカに強制移住させられたアリュート人の子孫という、おそらく自分の出自とも一致すると思われる女主人公ケイト・シュガックのシリーズで知られる。元弁護士で国立公園の入植地で暮らすという設定のシュガックは、本書では、元上司で恋人の検事局捜査官モーガンの依頼で、失踪した若者の探索のため、“風の揺り籠”と呼ばれる荒海、ベーリング海の蟹漁船に乗り組む。弱者に優しい性格と、男勝りのガッツな活躍は痛快。少数民族や、海で働く人々に向ける作者の眼差しがいい。
46 アウトランダーシリーズ8・9
時の彼方の再会U・V
ダイアナ・ガバルドン ソニー・マガジンズ 2005 各820 この作者のライフワーク、アウトランダーシリーズの7・8・9の3分冊が、シリーズ第3巻「時の彼方の再会」にあたる。そして、この3巻3分冊中Uの後半(「船出」から)とVが、奴隷貿易最盛の西インド諸島を舞台にした冒険活劇となっている。本書のこうした構成が最初から分かっていたわけではない。手にとって、小見出しに惹かれ、とりあえずUから買ってみた。1分冊がそれぞれ文庫版で600ページもあるから、初めから3分冊全部を読む気はさらさらならなかった。映画を途中から見て、おもしろかったら前に戻って見るの類である。さて、物語は、超常現象によって時代空間を旅することのできる現代の女医(作者自身をなぞらえているようだ)と、18世紀のスコットランドの革命兵士との恋を背景に、奴隷商人に連れ去られた甥を救出するため、海賊やイングランド海軍を相手に戦う話である。作者が生物学者のせいか、死体を焼くニオイ、血が腐るニオイ、排泄物や汗のニオイなど、凄まじい悪臭が、文章のそこここに散りばめられていて、時代の雰囲気をリアルに伝えている。読み疲れて、現時点でTを買う気はまだおきていない。
47 旅の終わりの音楽 上・下 エリック・F・ハンセン 新調文庫 2005 各667 タイタニック号沈没のとき最後まで演奏を続けた楽士たちの物語。楽士は実在したが、本書は、その設定を借りて作者が全く自由に作り上げた架空の話である。ノンフィクションといっても完全な実話など存在しないが、この本については、作者の意図を尊重し、あえてノンフィクションに含めない。実在楽士は8人だそうだが、ここでは架空の5人の人物の生い立ちが、オムニバス風に語られる。いずれも、幼くして音楽に卓越した才能を発揮しながら、どこかで挫折してきた経歴の持ち主。読者は最後に彼らの英雄的な行為でも描かれるのではと期待するが、「やがて、彼らはばらばらになって、てんでにかってな方向に走り出した。」 で終わるように、ちっとも教訓的な最期などではない。作者はこの作品を25歳で発表している。舞台は、偉大なる科学と芸術の世紀、19世紀の世紀末、革命と戦争の20世紀に突入する直前の時代、みずからの意図に反し屈折させられていった多くの人生を通して、さらに今日、そうした葛藤すら霧消し価値の死滅した無機的な時代にあって、生きる意味を模索する現代の若者の、苦しい声が聞こえてきそうな、そんなふうに思える作品である。
48 メッセージ・イン・ア・ボトル ニコラス・スパークス ヴィレッジブックス 2001 各760 この物語が、海とヨットに関係する恋愛小説であることは、ケビン・コスナー主演の同名の映画で、初めから分かっていた。しかし、映画のシーンとダブらせながら読んでいくうち、うかつにも、作者が女性であると勘違いしてしまった。女性蔑視に聞こえたら許してほしいが、いかにも受けをねらった甘いストーリー展開に付き合っていると、この作家は女性に違いないと思いこんでしまったのだ。しかし、最後になって、この本が、西欧社会における「永遠の愛」というテーマに、巧妙に仕組んだプロットで、よく計算され書かれたものであることに気づかされた。結婚式で誓う愛は、「死が二人を分かつまで」だ。では、相手が死んでも続く「愛」は成立するか。妻の死から立ち直れない男と、結婚に失敗して愛を信じられない女との、恋の行方は。作中の二人が苦悩すればするほど、読者はありきたりの結末では満足できなくなる。そこで、作者が用意したトリックは、瓶に入った男から妻への手紙を、海を隔てた女の手元に届ける運命を司ったのが、天国の死んだ妻だったという解釈である。彼は、読者がうらやむような恋愛小説のシチュエイションを用い、本来なら重たいテーマに軽々と切り込んでみせた。小説も映画も大ヒットしたわけである。映画と違うのは、一つは、男の仕事がダイビングショップの店主であることだ。映画ではヨットビルダー(造船屋)だった。船好きには、映画のほうが玄人受けする。もう一つの違いは、小説では男が最後海で死ぬのに対し、映画のケビンコスナーはなぜか死なない。そのため、上記の肝心のトリックも 省かれてしまっている。お定まりのごとく、感銘は小説のほうが深い。
49 華麗なるギャツビー フィッツジェラルド 新潮文庫 1974 280 最近では、イ・ビョンホンにすっかり心奪われている韓流の家人が、若いころ熱をあげていたのが、ロバート・レッドフォード。彼主演の「ギャツビー」は、バーブラ・ストライサンドと共演した「追憶」の次に、この人の好きな映画であった。先日たまたま本棚を眺めていて、昔つきあいで私も読まされた本書を見つけ、ふと思った。そういえば、この小説の舞台は、確か、ニューヨークのロングアイランドの海辺ではなかったかしら、とすればヨットが登場していてもいいはずだが、どうだったろうか…。映画からの印象が強いせいか、白い大理石の邸宅や豪華な自動車の場面は眼に浮かぶが、船はどうしても記憶に甦ってこない。そこで、今回は、ヨット発見のための読み直しをやってみた。以前読んだのは、私がヨットにかかわり始める前だったせいで気づかなかったが、この小説、最後は、次の一文で終わっている。「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。」 第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパをしのぐ工業国として台頭しはじめた、1920年代のアメリカが背景である。アメリカンライフスタイルといわれる物質文化が、華やかに登場した時代、それはまた、貧富の格差の拡大という大いなる矛盾の始まりの時代でもあった。東部の上流階級の退廃した社交界に、巨万の富に物言わせて入り込み、若き日の実らぬ恋をあがなおうとしたギャツビー。そして最後は、あたかも成り上がり者が不労者階級に逆襲されるかのように、彼の不条理な死で終わる。その物語の末尾のこの文章は、ひきかえすことのできぬ狂躁を開始したアメリカ社会にあって、「失われた世代」と言われた当時の若者達の心象風景を描いているのだが、そこに「舟」という言葉が使われていることを発見して、うれしくなってしまった。さらに、読み返してみると、ギャツビーが大富豪のヨットのクルーになったことが、彼の人生の転機として描かれている。ギャツビー自身、今やモーターボートのオーナーでもある。やはりこの小説、これまで読み飛ばしていたが、至る所に海や舟が出てくる小説だったのだ。もっとも、その海や舟は、話の展開の中で小道具や大道具程度にしか扱われておらず、そのあたりが物足りないと言ってしまえば物足りないのだが、それは、下心ある読者のぜいたくなのかもしれない。
50 満潮に乗って アガサクリスティ ハヤカワ・ミステリー文庫 1976 420 アガサ・クリスティーには、海に関係する表題の本が三つある。「カリブ海の秘密」「海浜の午後」「満潮に乗って」。わが高校生の遠い昔、英語の先生から「アクロイド殺人事件」の原書を教材として読まされて以来、クリスティーは常に気になる作家だった。ポアロとミス・マープルがテレビに登場し、書店の棚にも彼女のミステリー作品がずらりと並ぶようになるさまを見るたび、その中に、海を題材にした本がないか、たびたび探したものだ。しかし、前記の三作いずれも、残念ながら海洋小説ではない。そのなかで、今回とくに本作を選んだのは、書き出しが「およそ人の行ないには潮時というものがある、うまく満潮に乗りさえすれば運はひらけるが、いっぽうそれに乗りそこなったら、人の世の船旅は厄災つづき」というシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」の言葉で始まり、巻末近く「たしかに、潮は満ちます、が、それはいつか引く時もあるのです…容赦なく人を引きずりこみ、海の藻屑と消えさせる…」というポアロ探偵の独白で終わっていたからだ。ストーリーは、そのとおり、巨額の遺産を狙い、機に乗じ成功するかに見えた犯人が、どんでん返しで犯行を見破られるというもので、ここではこれ以上語る必要もあるまい。ただ、物語のはしばしに見られる作者の社会観・人生観が、彼女がただものではないことをうかがわせる。物語の舞台は第二次大戦直後のイギリスの田園地方、主人公は婦人部隊に出征し帰国した美しい娘。歴史の激動に触れた彼女は、もはや、変化の乏しい田舎の生活には戻れないと思いつつ、危険な男に惹かれてゆく。しかし、一方で、彼女は、従軍中の整然と分類され専門化された生活が、入隊前の自分の頭脳を変えてしまったことを自覚する。かつて自分の生活のすべてにかかわり頭脳明晰な決断力をもった娘はもういないことを知るのである。クリスティーは、こう述べる「これがつまり戦争が人々の心にうえつけていったものだろうか? 戦争の本当の恐ろしさは、けっして肉体的なものではなかったのだ。…本当に恐ろしいのは、考えることをやめればずっと楽に生きていかれるということを知る、精神の記憶なのだ。」そして、娘は最後に、聡明な自己を取り戻す。クリスティー人気の一端に触れることのできる一作だ。
51 南海の迷路 デズモンド・バグリイ ハヤカワ書房 1986 560 そりが合わず長く別れたきりの弟の遺品が、太平洋の南の島からロンドンの研究室に届けられてきた。海洋学者の兄は、荷物に混じっていたマンガン弾の成分を分析し、コバルトをはじめ貴重な金属の含有率が驚くべき高さであることを知るが、何者かにそれを強奪されてしまう。弟の死に疑問を持った兄は、職を捨て、父の育てたコマンド上がりの船乗りらとともに、スクーナー型帆船で冒険の旅に出る。かつて弟の恋人だった娘の実業家の父も、マンガン弾の商品化を目当てに同行する。行く手には、凶悪な海賊行為を辞さぬ敵の罠があり、弟も実はそれに利用されていたというストーリー。全編に集団格闘シーンや銃撃シーンが配置されたバイオレンス・アクションだが、航海のシーンや船乗りの会話もそれなりに楽しめる。登場人物が単純に善玉・悪玉に分けられているわけではないが、ところどころ、主人公が突然聖人君子ばりの言動をするのでとまどう。海に似合いの明るさと言ってしまえばそれまでだが、いちおう、痛快な読後感の残る小説ではある。
52 遠い海の向こうに マーク・W・サンダーソン 竹書房文庫 2002 590 真珠湾攻撃直後の米西海岸の小さな町が舞台。日系米人の子供を含む4人組の小学生が主人公。沿岸警備隊ごっこの最中4人は、海に面した無人の採炭工場跡地で、潜水艦から脱出したと見られる負傷した日本兵を見つけ、いったんは監禁に成功する。しかし、もみあいの最中、貯水地に落ちておぼれかけたリーダーの子供は、日本兵に救助される。おりしも、日系人への迫害の機運が高まる中、日系人の仲間の子供の家族を排除しようとする町の大人たちに反発した4人は、仲良くなった日本兵の若者を、町にやってきたFBIの係官に引き渡さず、メキシコに逃がそうと計画する。日系人の子供は、レストランを経営する祖父と母親の3人暮らし。強制収容所への立ち退きを迫られている。隣家に住むリーダーの子供の父と母は、長男を戦地に送っているが、友情と正義感から、その日系人家族をことあるごとにをかばう。戦争によって平和な日常を奪われようとする人々が、自分にとって真に価値あるものは何か、奪おうとする力が何かを正確に見定め、助け合おうとするりりしさが、読む者に勇気と感動を与える。劇場公開されずビデオ販売された、映画「あの四月を忘れない」の小説化版。日系人の祖父が、自分のレストランで提供する魚を釣るため長年使ってきた船が、焼き打ちにあう悲しい事件以外に、船や海に関する直接の記述はないが、全編に、乾いたすがすがしい潮風のにおいのする佳作である。幕切れの、日本兵の脱出方法が、閉塞した時代の空気に対抗して痛快である。
53 ロード・ジム上・下 コンラッド 新潮文庫 1965 各120 英海洋文学の大家ジョウゼフ・コンラッドの代表作。ポーランド生まれで堪能な英語を駆使したコンラッドの文学は、そのことひとつで驚異とされるが、彼はまた船員出身の異色作家としても知られる。物語は、コンラッドの分身とみまごう青年船員ジムが、白人社会に絶望して東南アジアの未開の村で暮らし、そこで白人の裏切りにあい殺されるまでを描く。文体は、最初、作者の客観的叙述で始まるが、いつの間にか、ジムの理解者としてのマーロウ船長の口を通して語られるようになり、さらに、ときにはジム本人の語り口で叙述されるなど、当時イギリスの文壇をにぎわしていた「意識の流れ」の手法が影響しているのではと思わせるほど、時に難解である。上巻では、船員ジムが勤務する貨物船が、アジアからアフリカに向かう途中、不法に乗船させた300人の巡礼回教徒を乗せたまま沈没してしまうという、海難事故の裁判の顛末が語られる。事故の責任者である船長や機関士は、裁判の始まる前に逃亡してしまい、残されたジムが裁かれる。法的責任はないもののジムもまた、事故の直前に遭難に気づきながらも船長たちのいっしょに生き延びてしまった自分が許せない。このジムの心の葛藤が、上巻の主題である。下巻では、裁判で無罪となったものの、良心の呵責にさいなまれるジムが、マーロウ船長の恩人の貿易商の好意で、東南アジアの奥地におもむき、そこで隠遁生活を送る様子が描かれる。現地の住民から神のように慕われるようになったジムは、しかし、以前から土着していた白人たちの嫉妬をあび、住民を守るために、ことのなりゆきでみずからの命を落とすことになる。上・下巻を通じて描かれるジムの苦しみは、アジア・アフリカを植民地として侵攻したヨーロッパ人が、ふと抱かざるをえなかった良心の痛みではなかったろうか。題名の「ロード・ジム」の「ロード」は、本来は貴族の称号であるが、気高い心の持ち主に対する敬称としても使われる。ジムの苦しみがヨーロッパの良心の痛みであるとすれば、一介の船員に過ぎないジムにロードという称号をつけて、彼の心を語ろうとする試みは、ヨーロッパがみずからを、良心において取り戻そうとする行為に他ならない。しかし、物語は、ジムの苦しみが結局は独りよがりではなかったか、はたしてアジア・アフリカの人々に理解されたか、疑問をつきつけたまま、結論を出さず終わっている。
54 太平洋―モーム短編集U― サマセット・モーム 新潮文庫 1960 240 画家ゴーギャンをモデルにした「月と六ペンス」で知られるモームは、ほかにも、南太平洋を舞台にしたいくつかの短編を書いている。本書は、それらの中から、「マッキントッシュ」「エドワード・バーナードの転落」「淵」の三編を収録したものである。冒頭には序文のように、「太平洋」と題する短いエッセーが掲げられ、独特の寂寞感を交えたモームの太平洋賛美がつづられている。三つの小説はいずれも、南太平洋の島に渡った白人たちが、結局その社会に溶け込めなかった悲劇と挫折とを描いている。「マッキントッシュ」は、サモア群島タルア島の行政官であるウォーカーと、その部下の書記官マッキントッシュの話である。ウォーカーは、島の暴君的権力者であるが、反面彼なりの深い愛情を島民に注いでいる。ロンドンから赴任してきたマッキントッシュは、持ち前の官僚的律儀さからウォーカーの横暴に反発し、ウォーカーに取って替わろうと考える。しかし物語は、島民の恨みをかって暗殺されたウォーカーが、実は多くの島民から慕われていたことを知り、自分の思い違いを悟ったマッキントッシュは自殺して果てる。「エドワード・バーナードの転落」は、シカゴの上流階級出身のエドワードとベイトマンという二人の若者の話である。二人は親友同士だったが、エドワードの家が破産し、彼がタヒチに働きに出ることになって、別々の道を歩むことになる。エドワードの婚約者エリザベスに頼まれ、タヒチを尋ねたベイトマンが見たのは、美しい島の素朴な生活に魅せられ、現地の女性との暮らしを選んだエドワードの姿であった。シカゴに戻る気のないエドワードを、理解できないベイトマンとエリザベス。裕福な都会生活か南海の楽園か、つきつめれば決して折り合うことのない、二つの価値観の対比が主題となっている。「淵」は、サモア群島ウポル島の港湾都市アピーア(現西サモアの首都)で、銀行の支配人として勤務するローソンが、川の淵で水浴びをしている美しい島の娘を見初めて結婚するが、最後には我が身を破滅させる話である。愛に盲目となったローソンは、妻の一族や島の人たちからは軽蔑の対象となり、現地の白人社会からも疎外される。双方から除け者にされたローソンは、やがて奔放な妻と一人の無責任な白人との不義を知るに及び、妻と初めて会った清らかな淵で自殺する。白人は、太平洋の楽園にあこがれてそこに住むが、所詮彼らはいっときの旅人にすぎない。かつてイギリスの諜報機関で働き、病いをえてアメリカに移住したモーム。訪れた太平洋の島々こそ祖国と思い定めながらも、その地の人々との間に横たわる、越えがたい溝をどこかで感じていたのかもしれない。
55 海の沈黙・星への歩み ヴェルコール 岩波文庫 1973 200 あからさまな物言いに真実がないのは、いつの時代でも同じだが、まわりくどい言い回しが時に真実を含むとすれば、そこには、圧殺された言論の記憶が残っているのかもしれない。たとえば本書、第二編の「星への歩み」の冒頭は、「愛は、汚れた結末のなかに消えることが多い」という書き出しで始まる。しかし、この「愛」がフランスへの「祖国愛」であるということは、最後まで読み通した後でなければ分からない。わざと分からぬように書いているとしか思えないのだ。ヴェルコールは、フランスのレジスタンスが生んだ作家である。アラゴンやエリュアールのような直截なアジテーションはないが、隠蔽された表現にこめられた怒りは重たい。収録された2編のうち、「海の沈黙」は、ナチスに占領されたフランス国民の抵抗を、生物のうごめく海底の沈黙にたとえている点で、海との関連をもかろうじて示す。物語は、占領された街で、一人のドイツ人将校と、ひとつ屋根の下に暮らすことになったフランスの老人と娘の話である。故国ドイツの生家でフランスの文化に親しんで育った将校は、パリ占領という行為をフランス精神のブルジョワ的堕落からの救済と信じこもうとする。老人と娘に対しても何とかうち解けようとする。しかし彼が絶望したのは、気を許そうとしない二人に対してではない。同じ環境で育ったはずの弟の言動に、懐柔政策の裏で他国を虐げようとする勝利者のおごりが深くしみこんでいくのを見たときであった。やがて、ドイツ軍から危険視された将校は前線に送られることになり、二人に別れを告げる。警戒しつつも淡い恋心を抱いていた娘は唇をかみしめ、老人は深い悲しみにとらわれる。たとえ欺瞞に満ちていようと、自国の最良の意思さえも切って捨てるナチスへの、作者の怒りが伝わってくる作品である。「星への歩み」は、海とは無関係であるが、やはりナチス糺弾の小説である。タイトルの星は、ユダヤのシンボルであるダビデの星を示す。正義と自由を標榜するフランス精神にあこがれ、東欧からパリに出てきた一人のユダヤ人の少年が、年老いてドイツ占領下のパリで、フランスの隣人に密告され、銃殺への行進を歩む話である。ここでは「赤毛」がフランスの人々の象徴として使われている。パリに出てきた少年を寛大に受け入れてくれたのは赤毛の人々であったが、ペタン政府のもとで彼を排除したのも赤毛の人々であった。ドイツ軍の脅迫で、もろくもくずれさるフランスの偉大なる精神。裏切りと絶望のがれきの前で、作者の決意はやはり前作同様、海の底に深く沈んでいったのであろうか。
56 白銀の聖域 マイケル・ムアコック 創元推理文庫 1996 630 ふたたび氷河期が訪れたという設定の未来の地球。陸も海もすべてが氷に閉ざされ、生き残った人々は、かつて人類が雪や風を避けて洞穴に住んだように、巨大なクレバスの中に都市を形成して暮らしている。文明社会は遠い昔に滅び、貴族を中心とする身分制社会が復活し、人々は「陸鯨」の狩猟によって生活している。「陸鯨」とは、かつて海を泳いでいたクジラが逆進化し陸をはい回るようになったというのだが、記述はそれ以上に定かなイメージは与えてくれない。そしてまた何と、この捕鯨で活躍するのが、巨大なスキーを履いて氷原を滑る帆船である。スクーナー、ブリッグ、バークなど、さまざまな近代帆船が、どういうわけかこの時代にまで残っていて、陸鯨を追うのである。本作品をこのライブラリーに収める理由も実は、この帆船の登場という一点によるのだが、正直言えば、氷上の帆走は海でのそれに較べあまり趣が感じられないものだった。ともあれ小説の主人公は、こうした船の船長の1人である。船長は、ある都市のリストラで職を失い、漂白の途中、別の都市の有力な老貴族の命を救い、その持ち船を任されることになる。その都市はマットグロッソ高原にあるという設定だから、どうやらブラジルあたりらしいのだが、折しも地球温暖化の兆候か、陸鯨の群れが南極のほうに移動し猟の獲物が減り始める。事態を憂えた貴族の遺言に基づき、船長は、氷河社会の信仰の中心であるニューヨークに向かう。そこには神である「氷の母」が住んでいる。船長の任務は、彼女を訪ね、事の真相と行く末を訊ねることであった。北への旅への道連れは、亡き貴族の娘とその夫、貴族の実子でありながらなぜか跡継ぎになれない銛打ちの名手、貴族の甥にあたる一族の切れ者など。物語は、貴族の娘と船長の不倫の顛末を軸に、登場人物のあいだの謎めいた緊張関係とをはらみつつ進む。ところがここまで舞台と役者がそろったところで、以降の展開は、期待に反し盛り上がりをかいたまま、読者はあっちこっちに連れ回されるうち話が終わってしまう。雄々しく節度あるはずの主人公が、あるとき船員達に横暴な船長になってしまったり、卑怯で女々しかった夫が、突然勇気ある戦士に変身したり、野性的で沈着冷静な銛打ちが、実は父への恨みから一族への復讐心を燃やして裏切ったり、聡明で人間味あふれる愛すべき甥が、蛮族に襲撃され男根を切られてあっさりと死んでしまったりなど。必然性のない脈絡を欠いた話が、主題がどこにあるのかわからぬまま続く。巻末で解説者は、作者ムアコックは、登場人物の織りなすモラルを描こうとしたコンラッドの小説技法を取り入れたと書いている。なるほどとは思うが、コンラッドほどの重厚感はなく、私にはどうもこの作品、成功したとは思えない。ちなみに、この氷河期は、人類が全面核戦争を起こしたことによって誘発されたとされている。着想もテーマもすばらしく、それだけにちょっと残念な気がする。
57 われらの海 上・下 ブラスコ・イバーニェス 岩波文庫 1955 各1000 主人公ウリセス船長の名前「ウリセス」は、ラテン語で「オデュッセウス」。その名付け親の叔父の薫陶で、子どもの頃から海の荒くれ男にあこがれる。彼の誇りは、中世以来ムスリムと覇権を競い、近世に至っては諸国に先駆けアメリカ大陸を侵略した、スペイン人の海洋民族としての伝統である。彼は、船乗りになって世界中の海を歩いたのち、叔父の遺産を元手に海運事業を起こす。手に入れた船には、「マーレ・ノストルム」(われらの海=地中海)と名付ける。この作品は、第一次大戦中、大西洋のみならず地中海にまで出没した、ドイツ潜行艇への抗議を主題としている。イバーニェスの腐朽の名作は、大戦中アメリカで大反響を呼び同国の参戦を決定づけたといわれる「黙示録の四騎士」であるが、「われらの海」もまた、それに続いて発表された作品である。物語は、あのマタハリをモデルにしたと目される、ドイツの女スパイ、フレーヤと恋仲になり、ドイツ潜行艇に協力してしまったウリセス船長が、その潜行艇によって息子の乗った船を沈められ、苦悩のすえスパイと上官に復讐する冒険活劇の趣があるが、それだけにはとどまらない。ドレフュス事件の弁護で有名なゾラの、自然主義文学を受け継ぐと言われるイバーニェスの心理描写は克明で、美女との情事に溺れていく男の心を的確に捉えた恋愛小説ともなっている。相手のフレーヤーは謎めいてあくまで艶めかしく描かれているが、イバーニェスは、当時マタハリの処刑をめぐって広まった風評(最期まで泰然自若、美貌をもって周囲の者を魅了した)に、彼なりの結論を与えている。すなわち、フレーヤに、そのうわさどおりにふるまわせるのだが、処刑の土壇場になって「死にたくない」と泣きわめかせるのである。イバーニェスの筆は、誘惑に溺れたことも、またそれを拒絶したことも、悔恨と葛藤をもってしか思い出せない男の悲しみを描いて、美貌の女性の怪しさを否定しない。息子の死の原因を知ったあとも、再三フレーヤに言い寄られ、ともすれば揺れ動くウリセス。しかし、処刑後のフレーヤの遺体について、「いみじかりし容姿も、野ざらしの獣のごとく、名さえわからぬ塚穴の蛆となったのだ!」という一文は、彼のドイツUボートへの断罪の激しさを示しているであろう。もともとイバーニェスは、スペイン王政に反対してたびたび外国への亡命を余儀なくされた共和主義者で、当時も亡命先で、フランス情報部の一員として対ドイツ戦に協力していた。この作品も、その戦争宣伝の意味あいがあったかもしれない。しかし、彼の真骨頂は、あくまで社会正義に殉ずる騎士的な精神であろう。それは、本書のキーワード「われらの海」の解釈を、ローマ時代からの通説(ヨーロッパ人にとっての海)ですませず、地中海をとりまくアフリカ人やアジア人を含めた多民族の海と解釈する公平性にも表れている。イバーニュスは、不偏不党のまやかしを指摘する人物でもあったと言われるが、一党一派に属することも嫌ったようだ。戦後、共和政下の政治家の腐敗に批判的な姿勢をとり、選挙への出馬を断って、南米リオグランデに「セルバンテス村」という理想郷を作ろうとしたエピソードもある。彼は1928年に死ぬが、フランコによって人民戦線政府が覆されるのは、それより10年ほどあとである。当時のスペイン共和政の脆弱性に対する、イバーニェスの透徹した眼力といえるのだろうか。ともあれ、この本は、博識な地誌と歴史をふんだんに盛り込んだ、地中海への心情あふれる賛歌である。
58 メイポート沖の待ち伏せ 上・下 P・T・デューターマン 新潮文庫 1995 各640 著者はアメリカの元海軍軍人。退役後小説家デビュー。これが第一作とのことだが、エンタテイナーとしての素質には舌を巻く。上下2巻に及ぶ長編だが、物語は単純。アメリカの空爆によって、子どもを殺害されたリビアのカダフィ大佐が、攻撃の中心となった空母コーラルシーに報復するため、潜水艦をフロリダの海軍基地メイポート沖に派遣。秘密指令を受けたアラブ人艦長が海底で待ち伏せる。片や、ベトナム戦争時代からの古強者の駆逐艦艦長。平時の海軍組織の中で冷や飯を食わされているが、些細な事件からこの作戦に気付き、周囲が無視するなか一人で対峙する。実名を交えた空想軍事サスペンスである。パッシブソナーとかアクティブソナーとか、あるいはコンピュータ用語や数学用語がやたら使われ、この分野における著者の博学ぶりがうかがわれる。例えば、ちょっと長くなるがこんな具合。作中、潜水艦のソナー係の兵士が次のように言う。「磁気テープの信号を、パッシブ・コンピュータで周波数ダイバーシティ・アルゴリズムの処理をさせたんです。コンピュータが広域帯の信号を部分に分解し、それがいま聞いている音と、そういう音に固有の周波数の通常の確率変数の分布関数を統計的に比較します。」門外漢には何のことやらチンプンカンプンであるが、この世界の雰囲気だけはリアルに伝わってこよう。また、カダフィ大佐が政権を獲得した革命後のリビアの軍隊では、大佐以上の階級は廃止されたなど、もろもろのエピソードは、執筆準備段階の著者の周到な調査をうかがわせて楽しい。信仰厚く誘惑をしりぞける自制心の強い潜水艦のベドウィン艦長の戦士ぶりと、スポーツカーを乗り回しマリーナのハウスボートに住み、行きずりの週末の恋を楽しむヤンキー丸出しの駆逐艦の艦長の、海中と海上での虚々実々の駆け引きがメインテーマであるが、物語は、出世主義の横行する海軍内部の不条理に対する批判や、老朽艦に追いやられた件の窓際艦長の、上官の妻との禁断の恋の顛末などをサブテーマに、最後まで読者を飽きさせない。テンポの早いストーリー展開、ところどころに見られる体言止めのような軽妙な語り口(原作でも多分そうなのだろう)、抑制をきかせたポルノすれすれの描写など、作者の腕の冴えはなまなかではない。この種の書評で戦闘の結末を言うのはルール違反となるのでやめておくが、1992年発表の小説だから2001年同時多発テロの約10年前に書かれたものであるが、あの惨害を彷彿とさせる内容。先見の明と見ることもできなくはないが、私はむしろこうした題材や着想が、アメリカの軍人、しかも組織のかなり中枢に軍歴をおいた人間によって早くからなされていたということのほうに興味を覚える。もしかすると、あの事件は「真珠湾」のように、アメリカ人にとって決してまったく予想外のことではなかったのかもしれないと。
59 氷山を狙え クライブ・カッスラー 新潮文庫 1982 520 二度読まされた。面白かったからではない。一度では筋が追えなかったからだ。途中で本を紛失して読むのを中断したという特殊事情があったせいかもしれないが、ついていけなかった原因は、行き当たりばったりに展開するこの本のプロットのせいではなかろうか。筋はこうだ。アメリカの沿岸警備隊のパトロール機によって、氷山の中に閉じ込められた船が洋上発見される。この氷山の調査に赴くため、沿岸警備隊の監視船に嵐をついて一機のヘリコプターが強引に着船する。ヘリには海中海洋機関から派遣された、本書の主人公ダーク・ピット少佐が一人の氷山学者と一緒に搭乗していた。氷山に閉じ込められた船は最初、トロール船に偽装されたソ連の情報収集船と説明されるが、すぐに、アイスランドの実業家所有の海底探査船であったと明かされる。氷山を見つけたピットと氷山学者は、氷のなかに、何者かによって殺害された乗務員と焼けただれた船を発見する。ここでピットは、氷山学者から、実はアイスランドの実業家が貴重な海底鉱物資源を発見し、それをアメリカに譲渡するため航海に出て行方知れずになったと聞かされる。二人の乗ったヘリは、事態解明のためアイスランドに向かうが、途中謎のジェット機に襲われ、ピットは捨て身の攻撃でこれを撃墜、へリもろとも海に墜落する。氷山学者はここで命を落とすが、ピットはアイスランドの漁師に救助される。アイスランド到着後、海洋海中機関の上司及びその美人秘書と落ち合ったピットは、行方不明の実業家の妹で絶世の美女と、その婚約者で世界的な水産会社のオーナー、ロンドハイムと出会い、彼らの漁船を借りて沖合いに撃墜したジェット機の調査に行く。ところが、ここでも帰り道で武装した高速船に襲われる。意表をつく火炎瓶攻撃でからくも反撃したピットは、しかし襲撃してきた船が借りた船より高速艇であったことから、二人に疑い抱く。折しもロンドハイムの周辺を探っていた米国家情報局の諜報員と知り合ったピットは、彼のつてでロンドハイムのパーティに出席する。ここでピットは、ロンドハイムの所属するシンジケートが、南米の国々を経済的・政治的に支配しようと企てる一大陰謀を知ることになり、同じパーテイに招待された世界各国の要人とともに、ロンドハイムによって瀕死の傷を負わされ、アイスランドの酷寒の僻地に置き去りにされる。シンジケートの陰謀を、世界の目からくらますための、飛行機事故を装ったマスコミ操作の一環ということになっている。この危機も、氷原からの超人的な脱出行によって乗り切ったピットは、陰謀の手始めがデズニーランドに遊びに来た南米の大統領の暗殺であることを推理し、イベント会場を舞台に銃撃戦の末、ロンドハイムとその一味を一掃する。こう書くと一応筋は通っているように見えるし、テレビ局のプロデューサーから転進した作家であるだけに、アクション映画でならそれなりの面白さがありそうだが、小説としては物足りない。この場合、リアリティがないというようなことは、この種のドラマではよくあることだからそれほど気にはならないし、また、個々の場面描写も原文を読んだわけではないけれど、必ずしも悪くはなさそうである。むしろ文章表現の習作のような個所が所々出てきて、うならせる一面さえある。ただしかし、パトロール機、監視船、へり、漁船、氷原、デズニーランド、その他めまぐるしく変わる舞台、そして、そのそれぞれに登場する人物が、何の因果関係もなく、ストーリーを作る作家の都合だけで羅列的に語られつづけられるような印象の作品である。冒頭パトロール機の飛行士が読んでいるエロチックな読み物の描写で始まって読者を驚かせる。またピットがロンドハイムの前でゲイの素振りを見せる場面もある。さらに実業家の妹が実は性転換した実業家本人だったなどというオチもある。しかしそんなさまざまなエピソードも、読者サービスのつもりなのかもしれないが、物語に何の因果関係も必然性も感じられないといったら酷であろうか。もしかしたら、私とは不幸な出会いをしてしまった本なのかもしれない。
60 海の勇者たちT
海の勇者たちU
海の勇者たちV
ニコラス・モンラサット 徳間文庫 1990
1990
1992
540
540
640
大航海時代の最終覇者として「七つの海」に君臨した英国には、海洋冒険小説という伝統的文学ジャンルがある。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』、スティーヴンソンの『宝島』、コンラッドの『闇の奥』(映画『地獄の黙示録』の原作)などが有名。イギリス以外でも、フランスのヴェルヌ『海底二万里』、アメリカのメルヴィルの『白鯨』などがこのジャンルに数えられるが、何と言ってもこの分野で一大偉観を呈するのはやはり、戦後イギリスで発表された、帆船時代の英国海軍を舞台にした一連のシリーズものだ。ホレイショ・ホーンブロワー、ニコラス・ラミジ、アラン・リューリイ、リチャード・ボライソーなど、映画やテレビドラマでもおなじみの水兵や士官を主人公とした物語。単なる英雄物語ではなく、登場人物の苦悩や悲喜をいきいきと描くことで評価をえている作品群である。本書も、ドレイク、ハドソン、モーガン、クック、ネルソンなど人気者が登場し、書名からしてその類いに分類されてしまいそうだが、そのつもりで読むと少々戸惑うかもしれない。
 物語は、魔女から不死を宣告されたマシューという一人の船乗りを狂言回しに設定し、イギリスの海洋史をひとつのドラマのように描こうとしたものである。本編で扱われているのは、16世紀から19世紀初頭まで、帆船華やかなりし時代だけであるので、まさに血沸き肉踊る冒険譚かと思いきや、これは作者の死によって物語が中断された結果であり、モンラサット自身は、第二次大戦後の現代までを含む遠大な構想を持っていた。それは、作者生前の本編最終話、奴隷貿易をテーマとした第8話以降について、夫人のアン・モンラサットが、残っていた膨大なメモを整理し、その梗概を第15話までにまとめてくれているので知ることができのであるが、この全体像を前提に結論を言ってしまえば、モンラサットの描こうとしたイギリス海洋史は、必ずしも栄光に満ちたものではなかったということだ。若き日、社会主義に傾倒していたといわれるモンラサットにとって、自国の歴史は、海賊行為や奴隷貿易、植民地主義や核実験など、数々の社会悪と表裏一体のものだったのである。それゆえ、先にあげた実在の人物たちも、この本のなかでは、独断的だったり偏屈だったり、浮気者の俗物であったりと、その真偽のほどは別にして、かなり辛らつに描かれているし、主人公のマシューそのものも、ときに敵前逃亡したり、恩人を裏切ったり、あるいは金儲け主義の奴隷船の船長になってみたりと、毎回臆病者・卑怯者として登場する。まるで、歴史の陰の部分への、作者のこだわりを、これでもかこれでもかと見せつけられるかのようだ。
 しかし、同時に、モンラサットには海への深い憧憬があり、それがかつての海洋国家への愛情や惜別として、溢れ出るように示されている点も認められる。矛盾するようではあるが、戦後の大英帝国斜陽の歴史に身をおいたモンラサットにとって、広大無辺の海に勇敢に乗り出したあの時代は、やはり偉大な時代であったのかもしれない。第三話「海賊」で、英海賊モーガンや仏海賊モンバールから逃げ出したマシューが、救出した美しい少女と南海の孤島で二人だけで暮らす話は、古き良き時代の英国人の海への思いにあふれており、全編を通じて唯一、モンサラットが、人間の欲望で汚したくなかった象徴的世界だったのかもしれない。
61 至高の銀杯Tチャレンジ(上)
至高の銀杯Tチャレンジ(下)
ウォリック・コリンズ 角川文庫 1991
1991
560
600
「至高の銀杯」とは、言わずと知れたアメリカズカップの別称である。「チャレンジ上・下」は本シリーズの第1巻。ソ連崩壊以来、欧米の経済力に追いつこうとしていたロシアが、その力を誇示するためアメリカズカップに挑戦するという、いささか奇想天外な話。作者がヨットデザイナーにして防衛問題の専門家だからこその筋立てと一応の納得できるが、いかに「贈与証書」が認めているとはいえ、挑戦艇1艇だけのマッチレースがこうストレートに実現するものなのかひっかかる点もないわけではない。ただ望外の喜びは、本書が、超大国のパワーポリティクスのあれこれを追うより、ヨットレースの描写に圧倒的に多くの紙数を費やしてくれていることだ。レースのルールやタクティクスを少しかじった者には、堪えられぬ面白さだ。まさにわが意を得たりという叙述満載。物語は、漁師で頑固者の祖父に育てられ、ディンギーレースで抜群の才能を示したアメリカの少年が、思春期・青年期を同じクラブで一緒に練習した親友と組んで、こちらは特別待遇で育ったロシアの天才ヨット乗りに対決するというもの。合宿、予備戦、本戦と、潮風たっぷりのレースシーンを味あわせてくれるとともに、ライバルの親友とのさわやかな友情や、合宿所の年上の女性コーチや幼なじみの少女との切ない恋も印象的。お勧めの一冊である。物語後半の米・ロ2艇の対決は、軍縮交渉で政治的譲歩を引き出そうとする米軍上層部の謀略がからんで、米艇は3レースを先取されるが、主人公の卓越したヘルムスでピンチを脱し、最終戦では軍の謀略によって船底に仕掛けられた妨害装置も見破り逆転勝利する。本シリーズは3部作だそうで、この第1巻は、レースに勝ちはしたもののフィニッシュラインを目前にしてゴールを切らずロシア艇にカップを譲った主人公が、訓練棟の一室で一人深く頭を抱え込む場面で終わる。それは、ヨットを取り巻く錯雑した社会と、時に非情な現実に対する、苦悩なのか目覚めなのか、機会があれば第2巻・3巻もぜひ読みたいものだ。
62 至高の銀杯Uニューワールド(上)
至高の銀杯Uニューワールド(下)
ウォリック・コリンズ 角川文庫
角川文庫
1992
1992
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続巻を読みたいと思っていたら、知り合いが探して来てくれた。「至高の銀杯」の第2巻である。ちなみに第3巻はその後10年経ったが翻訳出版されていないとのこと。ネットで調べてみても確かに手がかりなし。アメリカズカップ熱が潮のように引いたあとの、日本の出版事情を映し出して興味深い。第2巻上・下2分冊のタイトルは「ニューワールド」。第1巻で活躍したあのアメリカ艇の名前だ。しかしこの巻に登場する艇は「 ノーヴィ・ミール」という名のヨット。ロシア語で「新世界」を意味するというから、もちろんこれはただの偶然ではなさそう。ただ、その意味はおそらく第3巻(「天使の死」というタイトルだそうだ)で明らかにされるのであろうが、今は、第1巻で仇役だったロシア艇のヘルムスマン、イリッチが第2巻で主人公となり、第1巻の主人公ジム・ショウがイリッチとともに防衛艇に乗ってアメリカ艇の挑戦を受けるという意外な展開の中に、ほのかに類推する以外方策はない。その意味でも第3巻を読みたいという思いはつのるのだが、何も続巻の欠落を嘆かずとも、この巻はこの巻だけで十分におもしろいということもまた言っておこう。あらすじは以下のとおりである。譲られた勝利とはいえ、アメリカズカップを獲得したイリッチは、ロシア帰国後英雄扱いされるが、おりしも湧き起こる故郷エストニアの独立運動にまきこまれ、ロシア防衛艇のヘルムスマンの地位を追われ、投獄される。イリッチはエストニア大統領の援助を受けて首尾よく脱出し、「 ノーヴィ・ミール」を建造。ロシア艇との防衛艇決定シリーズに臨み、次いで、挑戦艇決定シリーズを勝ち上がってきたアメリカ艇とカップをかけて戦う。この間、エストニアの独立運動を敵視し、大国の威信をかけてイリッチを妨害するロシア軍部との闘いは、第1巻でアメリカ軍上層部の干渉に対抗したジム・ショウと二重写しになって、防衛問題の専門家である著者の筆は、パワーポリティクスの現実感に溢れ、読者を惹きつける。また感心させられるのは、著者のミステリー仕立ての腕の冴えである。ジム・ショウがエストニア艇に乗ることになったいきさつには、彼の妻がエストニア人だったという第1巻からの伏線があったのだが、それに気づかされるのはこの巻になってからである。第2巻でも、イリッチの別れた妻の新しい恋人がエストニア大統領らしいという、思わせぶりの記述がさりげなくはいっているが、おそらくこれは第3巻に向けての伏線であろう。とまれ、レースの顛末は、最終戦で追い詰められたアメリカ艇がわざとエストニア艇に衝突し、代替艇を準備する余力に乏しいエストニアにレースやり直しの審判が下るところで第2巻は終わる。しかし、第2巻には、さらに、思わぬ展開が付け加えられる。何と、主人公のイリッチが、面目をつぶされたロシア軍高官の銃弾によって暗殺されてしまうのである。解説者によると、第3巻ではジム・ショウがイリッチ殺害の犯人を捜すことになっているらしい。おそらく、カップをかけたアメリカ艇との決着にはジム・ショウが当たるのではないか。そのレースの行方もさることながら、ロシア軍部とのこの個人対組織の闘いの結末やいかに。第3巻、やはり読みたい。
63 訣別の海 ロバート・B・パーカー 早川書房 2010 840 ロバート・ブラウン・パーカーと言えば、あのレイモンド・チャンドラーのマーロウ・シリーズの最終巻、チャンドラーの絶筆となった原稿を完成させたことで知られるハードボイルド推理小説作家。自らも私立探偵スペンサー・シリーズで、数多くの邦訳も出しているおなじみの作家である。本書は、彼のもう一つのシリーズ、ジェッシー署長シリーズの1冊である。物語の舞台はマサチューセッツ州の架空の港町パラダイス。若い女性の身元不明死体が流れ着く。読者には、プロローグでその女がヨットのブームパンチで何者かに落水させられたことが知らされている。そして、その犯人が何者かという謎解きが物語りの主旋律となっていくのだが、この物語は単なる推理小説とは少し趣を異にしている。主人公はその町の警察署長ジェッシー。妻の浮気が原因でアルコール中毒となり、いったんは別れたもののその後再会し、互いに断ちがたい絆でやり直しを模索しているとの設定だ。死体が流れ着いたのは、おりしも町をあげてのヨットレースの開催ウィーク。パラダイスには各地から集まった沢山のヨットが停泊している。次第に明らかにされるヨットでくりひろげられる異常な性風俗。ジェッシーは、犯行現場がそれらのヨットの中の一つとめぼしをつけ次第に犯人をおいつめていくのだが、作家が描くテーマはここで輻輳していく。ジェッシーは、異常な性犯罪の捜査を進めるにつれ、自分の別れた妻への思いが本当の愛なのか、男の性欲が求める快楽なのか迷い、妻とのやり直しに自信が持てないでいる。主人公がマッチョであるゆえに、まともに愛に悩む姿もさほど奇異には感じないのがいいところ。それどころか、物語では彼に協力する女性警察官や女性弁護士を登場させ、彼女たちとの友情を細やかに描くことで、愛と性愛という、日本でいえば純文学のテーマにさえ正面から切り込んでいく。物語は最後にさらに深刻な現代社会の病理をあばき、どんでん返しが設定されるのだが、これは未読者のため伏せておこう。海や船は、直接のテーマにはなっていないが、マサチューセッツ州は、古くはメルビルの「白鯨」の舞台となったナンタケット島のある州、そしてあの「パーフェクト・ストーム」の舞台となった漁港グロースターのある州。ジョージ・クルーニー主演の映画で見たような、町の空気や海の風景をそこここで感じさせてくれるのが嬉しい。
64 前日島 (上・下) ウンベルト・エーコ 文春文庫 2003 各714 文庫本と言えど上下巻あわせ合計800ページ近い長編。全編、中世美学の研究者であり記号学者でもある作家の、衒学的・思弁的な記述がえんえんと続き、およそ苦痛抜きに読み通すことかなわず、途中で何度も投げ出したくなった代物だったが、半年間かけ、「トイレ書斎」にてめでたく読了した。トイレ書斎については、別に触れたことがあるが、わが読書の特技的手法である。読む本を、書斎の机、居間のテーブル、鞄の中と、分けて置いておくのが私のやり方だ。書斎で読むのは仕事関係、居間では趣味の本、電車の中では文庫本といった具合だ。そして、西洋式トイレの棚には、分野をこえ、読みづらくなった本を置いておく。そうすると、トイレに入るたび、手持ち無沙汰の時間つぶし。どんな本でもいつの間にか制覇できるというわけだ。時間の流れにまかせた気ままな読書ゆえ、読み方にはむらが出るが、読了の喜びはひとしおである。
さて話を戻そう。本書は、その難解な内容にかかわらず、最後まで読むと、ストーリー自体はきわめて単純であったことに気付く。おそらく、このあらすじさえ知っていれば、博学強記な著者の含蓄ある文章をもっと味わえたであろうにと思量される。というわけで、長居できる快適なトイレをお持ちでない方のために、以下、そのあらすじ、もちろん実際には脈絡を無視して展開しているのだが、そのすじを整序して追いながら、本書の魅力の一端をご紹介できればと思う。時は17世紀、日本では江戸時代初期だが、ヨーロッパでは、早くも中世から近代への移行期にあたる。封建制とカトリックの古い社会が、市民革命と宗教改革によって崩壊し、価値観が大転換した時代である。古いものから新しいものに、徐々に変わったのではない。とくに当初は、古いものがまだ力を持って、人々は互いに生命をかけ、しのぎを削った。南洋の明るい太陽の光と、宮廷の闇に煌く宝石の光が、ともに人々の眼を奪い、血を流させた。混沌たる文化の競合、それが、バロックと言われる時代の本質である。小説が取り上げているのは、ちょうどその時期、政治的には一時的に出現した絶対王政の時代。スペイン・ポルトガルに始まりフランス・イギリスの覇権にいたる、地球規模で広がった植民地争奪と、ヨーローパ内部で打ち続いた諸国間の戦争の時代である。主人公は、当時スペインとフランスが領有権を争っていた北イタリアの、地方領主の息子として生まれたロベルト。父とともに出征した戦地で、周囲の誤解に基づく勲功をたて、パリの社交界にデビューする。リシュリュー、コルベール、マザランなどが実名で登場し、三銃士やドン・キホーテなどもパロディ的に顔を出す。彼は社交界で、永遠の恋人とも言うべき女性とも出会うが、生来の臆病な性格を、プラトニックな潔癖さでごまかしたまま、ふがいなくも、マザランの命令で、太平洋に向けて航海に出る。当時各国の航海術の焦眉の課題であった「経度」研究という密命を帯びていた。しかし、彼の乗った船は乗組員の反乱にあい沈没。命からがら漂着したのは、とある島近くに座礁していた遭難船。ここでも、あの時計技師ハリソンやブライ艦長が登場する。無人船かと思われたその船には一人の神父が乗っていて、ロベルトは彼からその島が、日付変更線の上に位置することを知らされる。神父も経度探求のため、敵国スペインから、実験に使う施設をその島に建設せよと命令されていたのだ。ロベルトは、期せずして自分の使命と通じる秘密に、接近することができたわけだ。しかしその島は、サンゴ礁に囲まれ、荒い波がくだけていて容易には近づけない。二人は協力して、神父が発明した一種の海底歩行器(ダビンチを彷彿とさせる)を作り、島に渡ろうとする。だが、先にそれを使うことになった神父は、海に入っていったまま死んでしまう。一人になったロベルトは、次に、苦手ながら泳いで島に渡ろうと練習を開始する。それは、子午線解明という使命感からだけではなかった。実は、この小説にはもう一つの、舞台が用意されているのだ。ロベルトには、彼が妄想の中で創り上げた、フェツランテという双子の兄がいることになっていて、少年時代から、彼の人生を狂わせる犯人として登場してくる。フェツランテの存在は、自己弁護心理の裏返しの妄想だから、いわば物語の裏舞台。これが表舞台と絡み合うことによって、小説はややこしさを増しているのだが、ともかく、そのフェツランテは、ロベルト出港後のパリに現れ、彼の恋人に言い寄り、ロベルトのいる島の反対側にまでだまして連れてきて、彼女の貞操を奪ってしまうのだ。ロベルトが必死で島に渡ろうとするのは、日付変更線上のその島に渡れば、前日に戻って恋人を救出できるはずという都合の良い計算があったからである。一縷の望みを胸に、泳ぎつけるかどうかもわからぬ島に向かって、ロベルトが船を離れるシーンで小説は終わる。
このように、ストーリーは、落ちぶれ貴族の息子が航海に出て、難破して死ぬという単純なもの。それに、奇想天外なフェツランテの妄想を設定したり、ロベルトの遺書を発見した著者が取材をまじえて書くということで、話をさらに複雑化させたりしているが、ここまではさ、ほど理解できない小説というわけではない。むしろ、本書の真骨頂は、ストーリーの合間にちりばめられた、当時の文化についての、溢れかえるような記述のすさまじさにある。ルネサンスをへて勃興した新たな文芸・科学と、魔術と宗教に彩られた古い文化のせめぎあい、暗澹と絢爛の混沌たるバロック世界は、上記のほかにも、錬金術や人体の解剖学、修辞学や天文学や神学をめぐって展開されている。しかし、そうした本書の底の深さについては、一度読んだきりで云々する資格はとてもない。翻訳者もあとがきでそれなりに解説しているが、それでもその一部に触れたにすぎないだろう。ただ一ついえるとすれば、エーコーが語りたいのは、時代の転換期を乗り越える精神のあり方ではないかということだ。20世紀のイデオロギーが頓挫した今、核物理学の発達が生み出した原子力も限界を露呈した。とどまるところを知らぬIT技術の発達は、われわれをどこにつれて行こうとしているのだろうか。人類は今、混沌たる時代にたち現れるさまざまな事象をどううけとめ、どう対処すべきか。エーコーは、同じような時代が歴史の中にあったのではないか、と提示して見せてくれているように思う。日付変更線というかつての時代の科学の最先端を扱いながら、エーコーはそれをまさに妄想の中で描く。あたかも、時間を後戻りできるという妄想こそが、むしろ救いであるかとでもいうように。科学の発達が人類の足かせともなっている今日の状況を見れば、発達する以前の日々に立ち戻り、そのときの世界がどんな価値観にいろどられていて、そこからどのような選び方をすれば、もう少しましな現在がありえたのか考えてみるのも、十分に意味あることなのかもしれない。「前日島」というこの小説の奇妙なタイトルも、当時まだ地球が、神秘のベールをまといつつも、天文学の研究や航海の発達によって、次第に解き明かされていく過程を象徴しているかのようだ。その意味で、エーコーは決して未来に悲観しているわけではないようにも思える。
65 ピンチャー・マーティン ウィリアム・ゴールディング 集英社文庫 1984 480 イギリスの現代文学には、「意識の流れ」と呼ばれる表現傾向を共通項とする作家の一群がある。19世紀のアメリカの心理学者、ウィリアム・ジェームスの用いた意識の概念(意識はイメージや観念の流れである)を、文学手法に転じた作家たちである。ジェイムズ・ジョイス、ヴァージニア・ウルフ(本サイトNo.37参照)などがその提唱者として知られるが、本書を読むと、1983年にノーベル文学賞を受賞した著者、ウィリアム・ゴールディングもその一人ではないかと思われる。物語は、海軍士官ピンチャー・マーティンが、沈没した駆逐艦から大西洋上の孤島に流れ着いて、岩に付いた貝と雨水とで飢えをしのぎ、生きながらえようとする海洋サバイバルものの一つである。しかしこの本では、主人公がどのような人物なのか、船はどうして沈み、流れ着いた島がどんな島なのか、そしてそもそも、どういういきさつで場面場面がつながっているのか、など、話を理解するための説明的叙述はいっさいなく、冒険や忍耐の感動を期待する向きには少なくもあまりお勧めしない。書かれているのは、手足を骨折し傷ついた肉体の痛み、もうろうとした視覚・聴覚に反映するおぼろげな情景、あるいは幻覚のなかで脳裏に浮かぶ思い出など。全編、「意識」あるいは「無意識」を形成するさまざまな要因が、脈絡なく羅列されているだけで、読者はそこから勝手に想像するしかないのである。どうやら島は満潮になると大半が沈んでしまいそうな小さな弧岩であるかのように初めは思えるのだが、読み進めると、そこはまったくの無人島というわけでもなさそうで、ただ、漂着したおり彼が瀕死の状態であったため身動きできず、いくらか回復したあとも行動は波打ち際に限定されていたので、島を狭い場所と勘違いしていたらしいと想像できたりする。実は、主人公のそうした身体的状況の設定が、不安や恐怖や、作家が描きたいもろもろの意識の描写にリアルさをあたえている。だが問題は、所詮こうした錯雑した「意識の流れ」から読み取れるメッセージが必ずしも明確ではないことだ。彼が戦地に赴くにいたったのは、情交を迫り拒否された女友達と結婚することになった親友が兵役に就くというので、いつわりの義理立てからつい一緒に志願したためであったことなどが、叙述の端々からそれとなく想像できるようになっている。したがって、一緒に乗った駆逐艦が攻撃をうけたとき、その親友に殺意すら感じ見捨てたなど、人間が生来背負っている「悪」が小説の深刻なテーマになっているらしいこともわかる。しかし、この「意識の流れ」という手法は、「意識」というあいまいな次元を隠れ蓑にして、明確な「認識」の世界を注意深く避けているかのようにも見えるのだ。主人公は最後に努力の甲斐なく死んでしまい、作者はどうやら戦争に対する批判もテーマにしているらしいのだが、それらのことは判然としない。ここでこの表現手法の是非を論じる力は私にはない。しかし、おそらく、意識の層を叙述の対象とすることは、物事の事実を写し取るだけよりは、本質に近づける方法にちがいないということは分かるような気がする。たとえば、海で溺れ死ぬ時のことで考えてみよう。そのとき肉体は、口の中に水が入ってきて息ができなくなり、のどや肺は絶望的な動きを続けるのであろう。同時に精神は、恐怖と不安の中に一生の思い出を走馬灯のように見るのであろう。この時の意識の流れを克明に描ききるとき、死の本質をとらえることができるのではないかと考えるのは、物書きがおそらくは惹きつけられる文学的契機の一つであろう。やがて日光が射し込む青い水の中で、遠のく意識のなかに死の訪れをとらえることもできるかもしれない。だが、ヴァージニア・ウルフの「燈台」を読んだときもそうであったが、思念において本質をとらえる力は、文学は哲学ではないのだから必ずしも論理を必要とはしないだろうが、にしても解釈を読者まかせにしてしまうようなこの方法には、表現者としての後退が潜むような気がしてならない。かつて丸谷才一が日本にも広めようとしたり、夏目漱石にその端緒が見られるなどと論じられたりもしたのだが、定着しなかったとされるのは、イギリスと日本の違いを抜きにしてもむべなしとしない。  
66 シップキラー ジャスティン・スコット 旺文社 1980 1300 この物語、前にアマゾンのビデオで見たことがあった。クルージング中のヨットが巨大タンカーに当て逃げされ、船会社に損害賠償を求めるが相手にされず、タンカーを沈めて復讐を遂げる話だ。主にアクションものを手がけている作家だそうだが、ヨットマンでもあるらしく、そこここにセーリングや海に関する優れた描写が出てきて楽しませてくれる。この点、本と映画のどちらがいいか比べようと、アマゾンのメニューをもう一度探したが、削除されてしまったのかもう見つけられなかった。記憶でいうと、操船に関して訳者の翻訳違いも散見されるが、本の方が数段に詳しく念入りに書いてあって、味わい深いように思う。主人公はアメリカの白人だが、恋人のクルーとして肢体抜群のアフリカ人女性医師が登場する。アクション作家だけあって、徒手空拳のヨットがタンカーに立ち向かうため、NATO軍の武器庫から、海戦用臼砲を横流し入手する話や、中東情勢を彷彿とさせるようなイスラエルの諜報機関が登場して、主人公の行動に絡んでくる話など、スリルとサスペンスを堪能させてもらえるのはお定まりと考えても、えっ、ヨットのデッキでこんな体位で?と想像させるエロチックなシーンも出てくる。確か映画にはそんな場面はなかったように思うのだが、これは読んでみてのお楽しみということにしておこう。    


未評書

1 アラン、海へゆくT はみだし者の海戦 デューイ・ラムディン 徳間文庫 1994 660    
2 巴里の憂鬱 ボードレール 新潮文庫 1951 400    
3 風に乗って スチュアート・ウッズ 早川書房 1987 1600 「キャプテン奴隷苦文庫」より寄贈  


  

 

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